シベリア抑留死亡者 に関する時事用語クチコミ情報です。どうぞご活用ください。

シベリア抑留死亡者のクチコミ情報

「京都シベリア抑留死亡者遺族の会」が小学校で授業
木津町・相楽小) 京都府木津町の相楽(さがなか)小で6日、第二次世界大戦直後に多くの日本人が犠牲になった旧ソ連によるシベリア抑留を学ぶ授業があった。「京都シベリア抑留死亡者遺族の会」(京都市左京区)の会員が極寒の地で飢えと重労働に

練習中
トランスバックとやらは、我輩にとっては難しいぞよ。

今練習中
只今練習中.

年賀状
本年に入り、このBLOGが書けなかったのは、言い訳になるが、頂いた年賀状への対応に追われたからである。 折角お開き頂き、失望させたことに対してお詫びします。以後頑張りますので、ドンドン質問、コメント、お叱り大歓迎です。

シベリア慰霊の旅13
2004年8月26日 ハバロフスクに戻り「旧ソ連抑留中死亡者合同追悼式」が行われた。

シベリア慰霊の旅(最終回)
2004年8月27日、墓参を終え無念の帰国.

今年の活動に関する反省
今年も父の遺骨をシベリアから持ち帰ると云う大目標が達成出来ず終わる。調査・慰霊活動を反省して、来年の再チャレンジに備えたい。

シベリア慰霊の旅12
2004年8月25日、チタのヤブロノバヤとドラビヤンナヤ墓地訪問.

シベリア慰霊の旅10
ロシアのチタ州に付いて.

一郎君来宅
新年の挨拶.

シベリア慰霊の旅8
2004年8月23日 イルクーツクからチタまでシベリア鉄道の旅.

謹賀新年
今年もよろしく御願い致します.

シベリア慰霊の旅9
個人追悼式、各参加者は父親の死没地に近い日本人埋葬地で夫々の追悼式を行う。チタ市から54キロ東、幹線道路を車で50分の所にあるノーバヤ墓地で行われたが、私の父の埋葬地は未だこれから直線距離で300キロ東である。

本会設立趣旨
シベリア抑留問題は60年を過ぎ風化しつつあります。しかし死亡した父の遺骨は未だ帰って来て居りません。同じ境遇の遺児が集い慰霊祭、埋葬地調査・遺骨収集の陳情、墓参等行って行きたく、シベリアは広過ぎるので、先ずチタ州で纏まりたいと仲間を

日向薬師
七沢リハビリテーション病院で肩痛の治療の後、紅葉を見ると云うか、陶芸用の朴葉を拾いに行くと云うか、七沢温泉を過ぎ山の中へ進んだ。 最近熊が出没したので恐る恐る。その道は日向薬師の裏に出た。 これは日本の3大薬師の一つで、800年の歴史を持つ

第10回シベリア鎮魂慰霊祭
11月2日に会場の設営、昨4日撤収で全てが終わりました。 天候にも恵まれ、昨年より30名増の約100名の参加を得てお陰様で大成功でした。 詩吟、謡曲、尺八、ハーモニカ、読経の奉納もあり、絵画・写真パネルの展示物も好評で、その後の懇親会も盛り

シベリア強制抑留死亡者名簿
シベリア強制抑留死亡者名簿に付いて来週は父がシベリアで亡くなって61回忌である、今日は2年前に父の名前を漢字の死亡者名簿に載せて頂いたお話をしたい。

シベリア抑留スケッチ11
楽苦画飢−11 伐採組みの帰所(夏期) 担いでいる薪は炊事用、栄養失調で痩せこけ歩む足取りにも力強さが無く腰にぶら下げたアメリカ製の空き缶(戦時中アメリカがソ連に援助物資として送られた金色の缶詰の空き缶)のガラガラ鳴る音が物悲しい。

シベリア抑留スケッチ
楽苦画飢―1 父が強制収容され死亡した同じ収容所からの帰還兵「柴谷吉宣様」は退職後自分史として「楽苦我記」を書かれた。私が御願いした事もあってスケッチを描かれ、このたび「楽苦画飢」と題して纏められた。ここに公開のお許しを得たので写真の無い

シベリア抑留スケッチ
楽苦画飢−3 目的地不明の行軍お互いに助け合った、慣れぬ長靴を履いての行軍であり、足に豆を作る者、靴ずれに苦しむ者が多く出た。 シベリア鉄道の支線の終点、スレテンスクから135キロを2泊3日でシャフタマ村に着いた。 (解説)ブラゴエシェチェン

シベリア抑留スケッチ12
楽苦画飢−12 伐採組みの帰所(冬期) 冬期は明るく成って来るのも遅く太陽の姿も見えず夕方は4時になるともう暗く一日中どんよりとしたうっとうしい天気である。 防寒外套は所々焦げ中綿が飛び出している、焚き火の炎で顔がすすでどす黒く歯の白さが

シベリア抑留スケッチ9
楽苦画飢−9 深夜ペーチカの明かりを頼りの虱退治我々の分身を殺すのは心苦しいが、ペーチカの暖かさで虱がモゾモゾと這い出して来るので、爪と爪の間に挟み押し潰す、又行儀良く整列している、卵を根気良くプチップチッと潰すのである。

シベリア抑留スケッチ10
楽苦画飢−10 冬期の伐採現場鋸は日本では引き切りであるがソ連では押し切りであり、勝手が違い初めの内は困惑したが直ぐに慣れた。ノルマは一人5立方米で3人一組でノルマ、ノルマと追い立てられ辛かった。 (解説)森林伐採は夏にはないのだそうだ、

シベリア抑留スケッチ13
楽苦画飢−13 伐採現場の休憩お国自慢料理に花が咲き生唾を飲む、伐採に限らず屋外作業でも焚き火はするので、いつも話題になるのは食い物の話ばかりで、行かなくてもどこ何処にはこんな料理、菓子のあることが目を閉じると形、味、色まで思い出せる。

シベリア抑留スケッチ4
楽苦画飢−4 野営風景 − 行き先は不明であり、今後どうなるかも分らず出る言葉は不安を駆り立てるものばかりであったが腹も膨れると昼間の疲れも手伝い絶やさぬ焚き火の付近に寝入る。 副食は何も無いが各人の持ち物を出し合い白米にバター、砂糖を

シベリア抑留スケッチ8
楽苦画飢−8 班内での食糧分配(秤量) 上から眺めている連中は、これが多い、あれが少ないと煩いことしきり、唯働く事と食うことしか考える事はない、我々には命の糧であるので分配当番も神経を尖らせている。 (解説)国際捕虜規約ー後日詳しく書く

シベリア抑留スケッチ
楽苦画飢−7 煙草の吸殻争奪未だ唾の乾かない吸殻に我先にと捨てられたタバコの吸殻に群がる、列より脱兎の如く飛び出し警戒兵に銃床で小突かれながら拾う姿を眺めて、こうまでしなくてもよいのではと話し合っていた。 (解説)抑留記にマホルカと言う

シベリア抑留スケッチ14
楽苦画飢−14 第2シャフト(試掘抗)より収容所方向を望む第2シャフト現場事務所横より収容所方向を望むと小さく遠くに見え、墓標はA林に遮られ見えなかった。 破砕岩が多く出ていたので未だ残っている筈である。 左斜め下に家が一軒あった。

遺族会
厚木市遺族会は3月6日から12日までパネル展を開催する。

シベリア抑留戦友会
東京ヤゴダ会懇親会昨年から参加させて頂いて居るが、今年も2月1日に箱根湖尻の某製薬会社の保養所で開催された東京ヤゴダ会の懇親会に参加した。

インデックス

つくばエクスプレス・他
スクランブル化・他
テポドン・他
ピュリツァー賞・他
中高一貫校・他
保護処分・他
北関大捷碑・他
地下鉄サリン事件・他
希望枠・他
政策委員会・金融政策決定会合・他
東シナ海ガス田問題・他
消費者団体訴訟制度・他
硫黄島の戦闘・他
自動化ゲート・他
量的緩和政策・他

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